中村草田男
思出も金魚の水も蒼を帯びぬ
万緑の中や吾子の歯生えそむる
冬の水一枝の陰も欺かず
降る雪や明治は遠くなりにけり
折々におどろく噴水時の中(絶句)
なかむら くさたお 明治34(1901)〜昭和58(1983)
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中国福建省廈門の領事館で生まれ、4歳の時日本に帰る。本籍は愛媛県。本名清一郎。東京帝国大学国文科卒。 卒業後、成蹊学園(現:成蹊大学)に就職し、高校の政経学部教授として昭和42年に定年退職するまで三十三年間勤めあげた。後に同校名誉教授。 在学中より東大俳句会に入り、昭和三年頃から高浜虚子門下に入る。昭和九年「ホトトギス」同人。単なる叙景、花鳥風月を詠ずる俳風に飽き足らず、加藤秋邨、石田波郷らと共に『人間探求派』と称せられた。以後、伝統の固有性を継承しつつ堅実な近代化を推進し、現代俳句の中心的存在となる。現代俳句協会幹事長、俳人協会初代会長を務めた。 『万緑の〜』の句は教科書にも載っている有名な句である。この「万緑」という季語を初めて用いたのが 草田男であるという。王安石の詩「万緑叢中紅一点」から得たのだとか。 句集『長子』『火の鳥』『万緑』『銀河依然』『美田』『母郷行』『時機』など メルヘン集『風船の使者』他『俳句入門』など。 昭和58年8月5日、急性肺炎のため死去。82歳。死の前日に受けた洗礼名はヨハネ・マリア・ヴィアンネ・中村清一郎。墓碑は東京あきる野市の五日市霊園にあり「勇気こそ地の塩なれや梅真白」の句が洗礼名、没年月日と共に刻まれている。 |