松本たかし

 

   羅をゆるやかに着て崩れざる 

 

   菖蒲田と草山とあるやさしさよ

 

   夕月の既に朧や薮の空

 


まつもと たかし 明治39(1906)〜昭和31(1956)

 

 東京神田猿楽町、宝生流能役者の松本長(ながし)の長男として生まれる。本名孝。錦華小学校卒。

 代々徳川幕府お抱えの宝生流能役者を務めた家柄。生来病弱の為役者の道は断念し、俳諧の道に進む。大正十年より虚子につき「ホトトギス」で活躍。

 大正14年、虚子の住む鎌倉浄明寺に卜居(ぼっきょ)し、以来20年ほど同地に住む。戦争のため岩手県八重畑村に疎開し、その後は東京杉並区久我山に居を構える。

 昭和31年5月11日、東京都杉並区久我山の自宅にて、心臓麻痺のため没。享年51歳。

 死に臨む姿を妻が記している。
  「常々、身汚い姿を人様に見られるのを非常に嫌がって居りましたたかしは、今度の病床にも『絶対にとり乱した所を見せぬ 様に』と私に頼んで居りましたが、亡くなる前日は、髪に鋏を入れさせ、自分で鏡の前に坐つて 丁寧に髯を当り、床へ戻ると今度は新聞紙をしいて手の爪を一指々々ひまをかけて切り、やすりまで使つて ゐました。そして翌日の午前十時に息を引きとります時は、少しの苦悶もなく『いい気持ちだ、ああいい気持ちだ』 と繰りかへして云ってそれきりこと切れました。病床の時よりかへつて色艶もよく、おだやかな死顔でありました。」 (『俳句研究』より引用)

 生前、牡丹を愛し、死去の時期も牡丹の花盛りであったことから、その忌を牡丹忌とも称している。墓碑は神奈川県三浦の本端寺にあり、妻の松本つや女(昭和58年没)が合葬されている。

 主宰誌『笛』

 代表句集『鷹』『野守』『弓』(選集)など。他に評論随筆集『えごの花』『鉄輪』など。